「姑息なやり方」のつもりで使ったら、実は意味が違っていた話
先日、知人の仕事の進め方について、こんなことを言った。
「それ、ちょっと姑息なやり方じゃない?」
ずるい、こそこそしている、というニュアンスで使ったつもりだった。それを聞いていた息子が、また例の顔をした。
「それ、意味違うと思う」
「え、そうなの?」
「姑息って『その場しのぎ』って意味で、ずるいとか卑怯って意味は本来無いはずだよ」
「姑息」の本当の意味
正しくは、こういう意味になる。
- 姑息(こそく):一時しのぎ、その場限りの間に合わせ。「姑」は「しばらく」、「息」は「休む」という意味の漢字
- 「卑怯」「ずるい」という意味で使うのは、本来は誤用
「姑息な手段」という言葉自体はよく使われるが、本来は「場当たり的で根本的な解決になっていない手段」という意味であり、そこに「卑怯さ」は含まれていない。
なぜ誤用が広まったのか
「姑息」という音の響きや漢字の見た目が、なんとなく悪いイメージを連想させやすいのだと思う。本来の意味で使っている人の方が今では少数派、というくらい広まった誤用らしい。
離れて暮らすからこそ気づくこと
こうして一つずつ指摘されると、自分がいかに「なんとなくのイメージ」で言葉を使っていたかに気づかされる。
息子の留学が始まってから、こういう小さな「知らなかった」の連続だった。同じように子どもの留学を考えているご家庭の相談に、今はDoor to Worldで乗っている。